勝井祐二 & 鬼怒無月  Interview
【Part1】





二人の名を知ったのは、90年代半ば頃だったろうか。
しかし、彼らの活動の大半は東京だったし、大阪に住む、当時の僕には音楽誌で名前を見かける『アンダーグラウンドの人』という印象であった。
が、そのたぐい稀な卓越したプレイでめきめきと頭角をあらわしてきた二人の存在が、少しずつ近いところに感じるようになりだし、ついに2001年5月26日のカルメン・マキ(Vo)の『生誕半世紀SPECIAL LIVE』が縁で出会うことになった。
その夜、僕は今まで彼らに出会ってこなかったことを悔やんだ。
『こんなすごいヤツらがいたとは・・・・』

音楽の『その一瞬』に食らいつく俊敏さと超絶テクニックはもちろんだが、なによりも小ざかしい『ジャンル』の壁を軽く蹴散らすような彼らの『気合い』と、ユーモアのセンスも時折のぞかせる(特にMCで)人柄にも僕は強く惹かれている。そして偶然にも同い年の二人の存在は、おおいに刺激にもなっている。

以前からのファンの方々には「今更…」な部分もあるかもしれないが、僕を含めた、勝井&鬼怒ビギナーにとっては、二人のパーソナリティを知る手がかりになるかと思う。



PART1は、二人の出会い〜『まぼろしの世界』黎明期
がテーマです。

ご感想など聞かせて下されば嬉しいです。[鶯]






「・…鬼怒くんってロックとか聴くの?」って訊いてみたら…
 

―お二人ともこれまでの参加バンドがすごく多いですが、現在のメインはどれですか?
勝井:僕の場合は、リーダー・バンドでは現在停止している『KICKS』ですが、今、実質的に力を入れて活動しているのは『ROVO』だと思います。
鬼怒:オレは『ボンデージフルーツ』(以下BF)と、『Coil』と、BFの高良久美子とベースの大坪との『Ware House』で、他にも幾つかあるけどコンスタントにやっているのは、その三つですね。

―で、あと『pere-furu』ですね。
鬼怒:あ、ペルフルもありましたね(笑)。
勝井:まあメインコンテンツの一つですからね。

―お二人はいつからのお付き合いですか?
勝井:『なれそめ』ですね(笑)。
初めて逢ったのは87、8年。一噌幸弘さん(能管奏者)のところでですね。
鬼怒:オレがまだサラリーマン(コンピューター・プログラマー)時代に、友達に誘われて見に行った一噌グループのライヴで勝井くんが弾いていたのを見たのが最初ですね。その次は、オレが一噌グループに入ってライヴやった時に初めて挨拶をして…
勝井:その時は僕が見に行っていて、まあ挨拶ていどで。
僕はその頃はグループの準メンバー的な存在だったんですけど。


―当時の一噌グループというのは、どんなサウンドだったんですか?
鬼怒:日本の能樂とかの伝統音楽をベースにした、ある種、プログレッシヴな音というか、フォーマット的には、ジャズ的に「テーマ→アドリブ→キメ→テーマ」って感じなんだけど、そのアドリブの部分が普通のジャズと違って、キ○○イみたいに早くて長くてテンション高くて、『力技系』っていう感じでしたね。

―それで、お二人の本格的な出逢いの時は?
勝井:一噌くんは古今東西の音楽に通じている人で、バロック音楽とか西洋の古典から、フリージャズやフリー・ミュージック、インドの伝統音楽とか守備範囲のすごく広い人で僕も色々と彼に教えてもらったんですけど、彼は現代音楽も好きで、当時の一噌グループのメンバーや周辺の人達も現代音楽を好きな人が多くて、そういう話をよくしてたんですよ。「ショスタコビッチがどうした」とか。まあ僕も名前ぐらいは知ってますけど、「ハア〜」って感じで。僕は一噌君に出会う前にはロック・バンドをやっていて普通にロックが好きなんで、その話の輪になかなか加わりにくいというか…。 
そこに「今度すごいギタリストが入る」ということで鬼怒くんが入って来て、ちょっと話はしたけど、まだお互いのバック・ボーンとかよくわからなくて。で、当時から鬼怒くんは上手かったから、僕はすごいなと思いつつ「やっぱり、この人も常に『ショスタコビッチが…』とか考えてるのかな」と思って。
鬼怒:(苦笑)
勝井:で、なんとなく(遠慮がちな口調で)「・…鬼怒くんってロックとか聴くの?」って訊いてみたら、「聴くよ」って(笑)。
鬼怒くんもこっちに対して同じようなことを思ってたらしくて、そこから一気に話が盛り上がって。


鬼怒壁が崩れたんだね(笑)
その当時の一噌グループの界隈には、ちょっと世間離れしたような独特の雰囲気があって、まあ音楽やる時は別として、それ以外のちょっと話してる時がやっぱり「ショスタコ…」ってノリで、オレもなかなか交われなくて。


勝井
:「メシアン」とか(笑)。

鬼怒
:で、やっぱりロックの話とかもしたいなあ、って思ってて(笑)。でもロックの話とかなかなか切り出しづらい雰囲気がありまして。

勝井
:あったねえ(笑)。


―昨夜の打ち上げでのような、サンタナの話なんかも?
(注:取材の前夜、勝井氏がサンタナに影響を受けた、など70'S ROCKの話で盛り上がった。)


勝井:いや、サンタナなんか、なかなか言えなかったですよ。
ってほどでもないか(笑)。
まあ、それで(鬼怒と)話を始めたら、ロックが好きでも共通点もあり違うのもありで、それはそれで面白かったし、歳が同じだというのもあって色々と話をして。

―鬼怒さんから見た、その頃の勝井さんの印象は?

鬼怒:まあ、すごく昔の話だから、当時はお互いに気持ちが勝ってる、みたいな感じで(笑)。
でも、その当時はアドリブをやるようなヴァイオリン奏者って珍しかったし、オレ自身もミュージシャンの友達とかほとんどいなかったのもあって、目はつけたんですよ(笑)。
でも、やっぱりグループ界隈では「(レッド)ツェッペリンが好きで…」みたいなことは言えなくて、声をかけづらかったのはありましたね。

勝井:当時、僕は『デフォルメ』というバンドで、それは割と趣味的な要素も多かったんですけど、自分の作った曲を歌って、たまにヴァイオリンを弾くって感じでやってたんですよ。そこにゲストで弾きに来てくれないかと頼んだり、同じように知り合った植村昌弘(Ds)君にも叩きに来てって頼んだりして、他にも学生で一緒に遊んでるような仲間とで、即興演奏を基本にした僕の考える、フリー・ジャズじゃなくてロック的なものをやりたいなと思っていて。その後、新たに鬼怒くんと植村くんとのトリオの『デフォルメ』を90年〜91年にかけてやっていたんですよね。


   
[※植村昌弘WEB SITE]

―それで、ボンデージフルーツの始まりですか?
鬼怒:そのデフォルメをやり始めたのが、ちょうどサラリーマンを辞めた頃で、たまたま、その時にやりたいアイデアがあって、割となんとなくセッション的に始めて、最初はホント、ライヴをやっては「失敗したあ」って感じで、段々とメンバーが入れ替わって、ファースト・アルバムでは、さがゆきさんと久保田安紀さんのヴォーカル2人と今の5人のメンバーという形になって。
  
   
[※さがゆきWEB SITE 、久保田安紀WEB SITE ]

―最初にカセットでライヴ音源をリリースされましたね。
ドラムの岡部洋一さんがWebサイトで、初のライヴで「猿のように必死にリズムをキープした」と告白されていましたが(笑)。

鬼怒:その時のヴォーカルが、さがゆきと東京ナミイで、その時に初めて、自分の作った曲が自分の思ったような形で音になったんで、「よし、これを出そう!」と、うやむやのうちにテープを出して(笑)。
勝井:それと並行して、僕は『デフォルメ』で、鬼怒君の他のメンバーを替えたり、また鬼怒君には抜けてもらって他のメンバーでやったりしながら、僕が作詞作曲して歌を歌うというリーダー・バンドの活動は続けていて、今度はデフォルメで一緒だった植村君が立ち上げた『P.O.N.』というバンドで鬼怒君と一緒にやったりして・…。


―当時は、ライヴはどのへんの店でやっていたんですか?
鬼怒:『マンダラ2』とか『クロコダイル』とか、代々木の『チョコレート・シティ』とか。

―客の入りはどんな感じでしたか?
鬼怒:最初の頃にフリージャズ系の店なんかに出た時には3、4人とかって日もありましたね。
勝井:で、僕らもどうにかしなきゃとは思って。
やっぱり、作品を出したいという願望と、作品を出すことで、「シーンみたいなものがここにあるんですよ!」という情報の提供の仕方を世間にしよう、という風に鬼怒くんと話をして、それにはなんかやるしかない!っていうところで始めたのが『まぼろしの世界』なんですよ。
最初はすぐにCDを作るような資金力もないという金銭的なことと、例えば、「BFのこの間のライヴ良かったじゃん」って話して、そこからジャケットを考えて云々とかの行程を経てリリースが半年後とかいうようなサイクルじゃなくて、もっと速攻で、極端な話、1週間後のライヴ会場で売れるっていうような、そういうのをやりたい気分だったんですよね、その時は。
鬼怒:その頃はメジャーとの接点も無かったし、とにかく何かやるしかないっていう部分が大きかったかな。それにオレも勝井君も、人に頭下げるよりも自分でやった方がいいなってタイプなんで(笑)。

―立ち上げたというのは、有限会社にしたとか?
:いやいや、全然。名刺は今でもないし(笑)。
ちょうどその頃、近い世代のミュージシャン仲間も出来はじめて、色々話してみると皆も同じような状況で、じゃあ、こいつらのテープを出すか、という感じで。音源は持ち込みでほとんどライヴ音源でしたけど、オレ達にもある種の「レアもの」意識というのも強かったから、スタジオでちゃんと録音して出すっていうのはそっちでやってよって感じで、うちは生モノ感覚というか、「この日のライヴはすごく良かったから出さない手はないよな」って感じでしたね。

勝井:「じゃあ、やろう」って考えた第一弾は、BFのライヴ音源、その頃の僕の『デフォルメ』のスタジオで録った音源と『P.O.N.』のライヴの音源を、カセットで同時リリースして、発表記念ライヴをしよう、その為のフライヤーも作ろう、それを、接点のあったメディアの人達にプロモーションしようとか、二人で相談しあって。


―作品の制作行程は?
勝井:DATなんかでマスター・テープを作って、ダビング業者に百本単位とかで発注して、同時にジャケットのデザインを自分達で決めて作って、定規とカッターで切って、届いたテープのケースに差し込む作業はオレか鬼怒くんの家で二人でやっていましたね。

―ジャケットの印刷とかは?
勝井:コピーです。

―夜通しの作業とか?

勝井:まあ、それに近い時もありましたね。
鬼怒:まあ、そんな業者に出すような量ではなかったし。
その時は、時間は死ぬほどあってヒマだったんで(笑)。

―しかし、東京でのそういう動きというのは、失礼ながら、当時、大阪にいた僕はほとんど知らなかったんですが、世間の流れともリンクしていたんですか?


勝井:90年代前半は、インディペンデント(自主制作)・レーベルの新しい動きみたいなものが出始めた頃だと思いますね。
特にカセットでの速攻性を生かした活動というのは、京都のFMNというレーベルや『突然段ボール』の蔦木さん達が「日本カセット・テープ・レコーヂング」を同時多発的に始めたりして、それが朝日新聞なんかのメディアで取り上げられてましたね。

   
[※突然段ボールWEB SITE]

―レーベル名の由来は何処から?
勝井:『まぼろしの世界』というのは、ドアーズの2ndアルバム『Strange Days』の邦題なんですけど、べつにドアーズが大好きってわけでもなくて、オレと鬼怒くんで色々と話してる中で出来てきた共通認識を持つ語彙の中で、なんかその語感が気に入ってて、「なんか形にしていかないと、自分達のやってることって本当に『幻の世界』になってしまうよなあ」みたいな、冗談でもないキーワードみたいなのが出てきて、じゃあ、それをレーベル名にしようと決めて。

―現在の売上げはどんな感じですか?
鬼怒:ま、そんなに売れてないですよ(笑)。
まあ、やっぱりアーティストをやりながらだし、サポートしてくれる人はいるけど、それこそ鬼怒家と勝井家の電話が、窓口でオフィスですから(笑)。


―実際、入手しにくいという現実もありますね。
ライヴのMCでも、『pere-furu』のCDを「今回を逃すと手に入りませんから」とか言いながら紹介していたし(笑)。

勝井:CDが売れるか否かというのは、まず第一に、店にいかに並ぶかっていう問題でもあるんですよ。
「レコード屋」という小売店にCDが並ぶまでのシステムには大きく分けて二種類あって、一つは元々あるメジャーの流通システムで、これは駅前のレコード屋でも手に入る種類のもので、それと違うものが要するに「インディペンデント・レーベル」という大枠で呼ばれるもので、いわゆるメジャーとは違う流通経路で店に入るものです。
それはお店によって、レーベルからの委託や買い取り、インディーズの作品のみを扱うディストリビューターの会社を通じてとか様々で、規模も、何十万枚も売るレーベルから僕らみたいな個人商店まで色々で、その結果、毎月インディーズの作品が何百タイトルもリリースされているんですよ。その現状でいうと、例えばタワー・レコードのような大手チェーンやインディーズ専門に扱う意識の高いお店であっても、それらを全部並べるっていうのは到底不可能なわけで。そこで当然、店側で扱う作品の取捨選択というのがあって、そのへんではまだまだ苦戦を強いられてるという状況ですね。


―でも、まだまだ続けるんですよね。
鬼怒:勿論! まだまだ、大売れして結果が出せたってわけでもないし。



■■□□2001/11/19  福井市にて□□■■

Part2に続く】

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Profile

勝井祐二(かつい ゆうじ)

1964年北海道生まれ。
80年代より音楽活動を始め、93年に鬼怒と共に「まぼろしの世界」を発足させるなど、様々なユニット、セッションを通じて日本の音楽シーンの裏街道(アンダーグラウンド)を歩み、90年代の東京のオルタナティヴ・シーンを牽引した。
BONDAGE FRUIT、DEMI SEMI QUAVER、渋さ知らズ、等多数のバンドに参加中だが、中でも、96年に山本精一(ボアダムス)らと結成した『ROVO』は、新しいパワフルなトランス・ミュージックとして高い評価を得ている。

『さかな』のプロデュース、三島由紀夫作/近代能楽集「卒塔婆小町」の音楽、演奏など、映画、演劇、舞踏の音楽も数多く担当。また、ジム・オルーク 、金大煥と共演する等、国境を超えたコラボレーションも行う。

◆勝井祐二の公式サイト


鬼怒無月(きど なつき) 

1964年群馬県生まれ神奈川育ち。
'88年能管奏者・一噌幸弘のグループに参加。
'90年にプログレ色の濃い自己のグループ『ボンデージフルーツ』を結成。
これまでに4枚のアルバムを発表。
2002年5月には5thアルバム『SKIN』をリリース。

 ボンデージフルーツ以外でも、トリオ『Coil』、高良久美子・大坪寛彦との『Ware house』、梅津和時との『KIKI BAND』、などでエネルギッシュに活動中。。
 共演アーティストは、福岡ユタカ(Voice)、瀬木貴将、小松亮太(バンドネオン)、灰野敬二などジャンルを超えて多彩。特に酒井俊、おちあいさとこ、さがゆき、ヤドランカ、Yaeなど、女性歌手のサポートには定評がある。
勝井とはボンデージフルーツ以外でも『Pere-furu』、『BLACK STAGE』、『KICKS』などでも共演。

◆鬼怒無月の公式サイト


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